宮に初めて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。「これは、とあり、かかり。それが、かれが。」などのたまはす。高坏に参らせたる大殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。
↓ 現代語訳
中宮様の御所に初めて参上したころ、何を見るにも気後れすることが数え切れないほど多く、(心細さに)泣き出してしまいそうなので、毎夜(御前に)参上して、三尺の御几帳の後ろに控えていると、(中宮様は)絵などを取り出してお見せくださるのだが、(身を乗り出して拝見するのはもちろん、)手を差し出すこともできないくらいに、はずかしくてたまらない。「この絵は、こうなっていて、ああなっていて。その人がこうして、あの人がこうして。」などと(中宮様は)おっしゃる。高坏におともしした灯火なので、髪の筋なども、かえって昼間よりもあらわではっきり見えてはずかしいけれども、我慢して拝見したりする。とても冷えるころなので、(袖から)のぞいていらっしゃる(中宮様の)御手でちらりと見えるのが、とてもつややかな薄紅梅色なのは、比類なくすばらしいわと、宮中を見知っていない宮仕えを始めたばかりの私の目には、こんなすばらしい方がこの世にはいらっしゃったのだわと、はっと気がつくほど、お見つめ申し上げる。
暁にはとく下りなむといそがるる。「呵城の神もしばし。」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ伏したれば、御格子も参らず。女官ども参りて、「これ、放たせ給へ。」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな。」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。ものなど問はせ給ひ、のたまはするに、久しうなりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく。」と仰せらる。ゐざり隠るるや遅きと、上げちらしたるに、雪降りにけり。登花殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。
↓ 現代語訳
暁には、早く私室に退出してしまおうと気がせいてしまうよ。「(夜明けの嫌いな)葛城の一言主の神様だってもうしばらくはいいでしょう。」とおっしゃるが、どうしてはすかいでも顔を御覧に入れることができようかと、やはりうつぶしたままでいるので、お部屋の格子もお上げしない。(掃司の)女官たちが参って(廂の間の外から室内の女房に)、「この格子を、お開けください。」などと言うのを聞いて、女房たちが開けるのを、中宮様は「だめよ。」と仰ると、(事情を察した女官たちは)笑って帰ってしまう。(中宮様が)あれこれとお尋ねになり、お話をなさるうちに、時間もたったので、「部屋へ下がりたくなったでしょう。それでは、早く。夜分は、すぐおいで。」と仰せになる。御前から膝行(しっこう)して自室へ姿を隠すやいなや、(女房たちが)格子を片っ端から上げ散らすと、外は雪が積もっていたのだった。登花殿のお庭は、立蔀が近くにめぐらしてあって狭い。雪はとてもきれいだ。
昼つ方、「今日は、なほ参れ。雪に曇りてあらはにもあるまじ。」など、たびたび召せば、この局のあるじも、「見苦し。さのみやは籠りたらむとする。あへなきまで御前許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものぞ。」と、ただいそがしに出だし立つれば、あれにもあらぬ心地すれど参るぞ、いと苦しき。火焼屋の上に降り積みたるも、めづらしう、をかし。
↓ 現代語訳
昼ごろ、「今日は、やはり昼間にいらっしゃい。雪で曇って目立つこともあるまいから。」などと、何度もお召しがあると、部屋の古参格の女房も、「見ていられないわね。そんなに引っ込んでばかりいようとしてよいものですか。あっけないほど容易にお目通りが許されたのは、中宮様が(あなたをお気に召す)わけがあるのでしょう。好意にそむくと憎さ百倍ということになるわよ。」と言って、やたらせきたてるように出仕させるので、無我夢中の気持ちがするけれど参上するのは、本当につらい。火をたいて夜の警護をする庭先の小屋の上に雪の積もった様子も、常とは違って、おもしろい。
枕草子「宮に初めて参りたるころ」1/3 解答用紙(プリントアウト用)
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