源氏物語「須磨での天変」3/3 (明石巻)   現代語訳

 やうやう風なほり、雨の脚しめり、星の光も見ゆるに、この御座所のいとめづらかなるも、いとかたじけなくて、寝殿に返し移したてまつらむとするに、「焼け残りたる方も疎ましげに、そこらの人の踏みとどろかしまどへるに、御簾などもみな吹き散らしてけり」。「夜を明かしてこそは」とたどりあへるに、君は御念誦したまひて、思しめぐらすに、いと心あわたたし。月さし出でて、潮の近く満ち来ける跡もあらはに、なごりなほ寄せかへる波荒きを、柴の戸おし開けてながめおはします。近き世界に、ものの心を知り、来し方行く先のことうちおぼえ、とやかくやとはかばかしう悟る人もなし。あやしき海人どもなどの、貴き人おはする所とて、集まり参りて、聞きも知りたまはぬことどもをさへづりあへるも、いとめづらかなれどえ追ひも払はず。「この風いましばし止まざらましかば、潮上りて残る所なからまし。神の助けおろかならざりけり」と言ふを聞きたまふも、いと心細しと言へばおろかなり。
  海にます神のたすけにかからずは潮のやほあひにさすらへなまし
 ↓ 現代語訳
 次第にかぜはおさまり、雨も弱まってき、星の光も見えるので、この御座所がとても普通と違ってみすぼらしいのもとても恐れ多くて、寝殿にお移し申し上げようとするが、(供人)「焼け残っているところも気味が悪く、多くの人が踏み荒らしうろついたうえに、御簾などもみな吹きちぎられてしまっている。」(他の供人)「夜が明けてから(お移し申し上げよう)。」と、あれこれ思案を巡らしている間に、源氏の君は御経文を誦しなさって、お思いめぐらしになるが、とても心が落ち着かない。(やがて)月が出て、潮が近くまで押し寄せた痕跡もはっきり残っていて、(嵐の)余波が寄せて引く波が高い様子を、(源氏は)柴の戸を押し開けて呆然と眺めておられる。この辺りには、物事の判断ができ、将来どうするかを考え、ああしようと、はっきりと分別しうる(陰陽師のような)人もいない。賤しい漁夫たちが、身分が高い人がいらっしゃるところだと言うので集まってきて、お聞きになってもご理解なれないことをぺちゃぺちゃしゃべっているのは、とても異様であるが、(ごたごたしている時だけに)追い払うこともできない。(漁夫)「もしこの嵐がもうしばらく止まなかったとしたら、潮が上がってきてすっかりさらわれて残るところもなかっただろう。神様のお守りは、並一通りのものではなかったよ。」と言うのをお聞きなさるにつけても、本当に心細いというだけでは、言葉か足りない。
  海にます…もし、海にいらっしゃいます神の助けに寄らないとしたら、多くの潮流の集まるところ漂っていた(流されていた)だろうに。



終日にいりもみつる雷の騒ぎに、さこそいへ、いたう困じたまひにければ、心にもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御座所なれば、ただ寄りゐたまへるに、故院ただおはしまししさまながら立ちたまひて、「などかくあやしき所にはものするぞ」とて、御手を取りて引き立てたまふ。「住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね」とのたまはす。いとうれしくて、「かしこき御影に別れたてまつりにしこなた、さまざま悲しきことのみ多くはべれば、今はこの渚に身をや棄てはべりなまし」と聞こえたまへば、「いとあるまじきこと。これはただいささかなる物の報いなり。我は位に在りし時、過つことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終ふるほど暇なくて、この世をかへりみざりつれど、いみじき愁へに沈むを見るにたへがたくて、海に入り、渚に上り、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ急ぎ上りぬる」とて立ち去りたまひぬ。
 ↓ 現代語訳
一日中、荒れ狂った雷鳴の騒がしさで、(源氏は)(落ち着いていらっしゃったと)そうはいうものの、とてもお疲れになられたので、心にもなくうとうととおまどろみになる。畏れ多い(ほど壊れた)御座所だから、ものに寄り掛かって座ってらっしゃると、亡き桐壺院が、まったく存命中のお姿のままで、ア太刀なさって、「なぜこんな見苦しいところにいらっしゃるのか」といって、「住吉の上の導きの通りに、早く船を出してこの(須磨の)浦から立ち去れ」とおっしゃる。とてもうれしくて、(源氏)「畏れ多いお姿に、お別れ申し上げて以来、さまざまと悲しいことばかりが多くございましたので、もうこの海辺に身投げしてしまいたい」と申し上げなさると、(桐壺院)「あってはならないことだ。これはただちょっとした(そなたの犯した)罪の報いである。私は帝位に逢った時、過失を犯したことはなかったが、無意識のうに犯した罪があったので、死後その罪を償うのに忙しくていとまがなかった、この世のことは振り返って見もしなかったが、(そなたが)タイソウ悲嘆に沈むのを見ると、我慢ができなくて、(あの世から)海に入り、岸に上がり、ひどく疲れたが、このようなついでに、宮中へ奏上しなければならないことがあるので、急ぎ上京するところだ」と言って、立ち去りなさった。


 飽かず悲しくて、御供に参りなんと泣き入りたまひて、見上げたまへれば、人もなく、月の顔のみきらきらとして、夢の心地もせず、御けはひとまれる心地して、空の雲あはれにたなびけり。年ごろ夢の中にも見たてまつらで、恋しうおぼつかなき御さまを、ほのかなれどさだかに見たてまつりつるのみ面影におぼえたまひて、我かく悲しびをきはめ、命尽きなんとしつるを助けに翔りたまヘるとあはれに思すに、よくぞかかる騒ぎもありけると、なごり頼もしううれしうおぼえたまふこと限りなし。胸つとふたがりて、なかなかなる御心まどひに、現の悲しきこともうち忘れ、夢にも御答へをいますこし聞こえずなりぬることといぶせさに、またや見えたまふとことさらに寝入りたまへど、さらに御目もあはで暁方になりにけり。
 ↓ 現代語訳
 (源氏は)名残り惜しく悲しくて、お供をして一緒に都に行ってしまいたいと考え、泣いてしまわれ、ふと空を見上げなさると、(ただ)明るい月の丸い顔だけがきらきら輝いて、(故院との対面は)夢とも思われず、ご気配が残っている気持ちがして、空には、雲がしみじみとした感じでたなびいているのであった。幾年も夢の中でも拝見することなく、悲しく気がかりに思うお姿を、わずかであるが、はっきりと拝見したことだけは、幻影となって目の底に残り、自分がこのように悲しみ極致にあり、命が尽きようとしているのを、助けるために天翔けってこられたのだと、ありがたくお思いなるにつけて、(逆に)よくもまあ、こんな騒がしいことがあってくれたものよと、夢の後も頼もしく感じられて、うれしくお思いになるはこの上もない。(うれしい一方で、別れの悲しさのため、)胸がぐっと塞がって、(夢の中でお姿を拝見して)かえってお心が乱れて、そのため現実の悲しいことをつい忘れ、あの夢の中でのお答えをもう少しく詳しくすればよかったのに、それもできなかった心苦しさに、また夢の中に(故院が)現れなさるかと、わざと眠ろうとなさるが、まったく眠ることはできなくて、明け方になったのであった。



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