「いとをかしうあはれにはべりしことは、天暦の御時に、清涼殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせ給ひしに、なにがし主の蔵人にていますかりし時、承りて、『若き者どもは A( )見知らじ。きむぢ求めよ』と宣ひしかば、ひと京まかりありきしかども、侍らざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の様体うつくしきが侍りしを、掘り取りしかば、家あるじの、『木にこれ結びつけて持て参れ』と言はせ給ひしかば、『あるやうこそは』とて、持て参りて候ひしを、『何ぞ』とて御覧ずれば、女の B手にて書きて侍りける。
勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へむ
とありけるに、あやしく思しめして、『何者の家ぞ』と尋ねさせ給ひければ、C貫之のぬしの御女の住む所なりけり。『 D遺恨のわざをもしたりけるかな』とて、あまえおはしましける。繁樹今生の辱号は、これや侍りけむ。さるは、『思ふやうなる木持て参りたり』とて E衣被けられたりしも、からくなりにき」とて、こまやかに笑ふ。(道長『大鏡』第五 昔物語)
(注)*天暦の御時=村上天皇の御世。天暦は九四七〜九五七。
*辱号=辱詬。恥辱。
問1 A( )見知らじについて、
@ 文意が通るように、空欄にひらがな1字の陳述(呼応)の副詞の語を記しなさい。★★
A Aを現代語訳しなさい。★★
問2 B手の意味を漢字2字で記しなさい。★
問3 C貫之のぬしとは、どういう人物か。80字以上かつ100字を越えない程度で説明しなさい。★★★
問4 D遺恨のわざをもしたりけるかなと思ったのはなぜか、70〜80字で簡明に説明しなさい。★★★
問5 E衣被けられたりしの「衣」とは、ここではどういう意味を持つものなのか。分かりやすく説明しなさい。★★
問6(1) 「大鏡」と対比される同時代の歴史物語は何か。 (2) 「大鏡」に続く鏡物を時代順に三つ記しなさい。★
advanced Q.1 勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へむの歌は、結局どういう気持ちが詠まれているのか。簡明に説明しなさい。
advanced Q.2 語り手(繁樹)がいとをかしうあはれにはべりしことと感じたのはどんな点についてか、4点でまとめてみてください。
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