土佐日記「帰京」 現代語訳

原文
 @京に入り立ちてうれし。A家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。B聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。C家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。D「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」E「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」F「今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。Gいとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。

現代語訳
 〔(人目を避けて)夜遅くなってやってきましたので、親しいあの方この方も(迎えに)みえません。〕@(それでも)京の町中に入って(京の人となれて)うれしい。A家に到着して、門に入ると、月が明るいので、とてもよく様子が見える。Bかねてうわさに聞いていた以上に、話にならないくらい壊れ傷んでいる。C(家だけでなく)預けておいた留守番の人の心も、家と同様荒れてしまったのですねえ。D隔ての垣根はあるものの、一つ屋敷みたいなものだから、(先方から)望んで(この家を)預かったのだ。Eそうは言っても、ついでのあるたびに、金品も絶えず届けさせていたのです。F今夜(帰って来てみると)、「このざまは。」と(従者たちには)大声で言わせるようなことはさせない。Gなんともひどい(薄情だ)とは思われるけれども、お礼はしようと思う。


原文
 @さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。Aほとりに松もありき。B五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。C今生ひたるぞ混じれる。Dおほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。E思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。F船人もみな、子たかりてののしる。Gかかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
  生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞ言へる。Hなほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
  見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
 I忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。Jとまれかうまれ、とく破りてむ。

現代語訳
 @さて、池みたいにくぼみ、水のたまっている所がある。A(その)まわりに松もあった。B(松は千年の寿命を保つと言いますが、私が土佐に赴任していた)五年か六年の間に、千年も過ぎてしまったのだろうか、(松の)半分はなくなってしまっていたよ。C(そこに)新しく生えたのが混じっている。D(松に限らず)あたり一面が、すっかり荒れてしまっているので、「まあひどい。」と人々が言う。E思い出さないことはなく、(すべてあれもこれも)なつかしいうちにも、この家で生まれた女の子が、一緒に帰らないので、どんなに悲しいことか。F同じ船で一緒に帰京した人々もみな、子供がよってたかって騒いでいる。Gこんな情景の中で、やはり悲しくてたまらないので、そっと気持ちの通じ合っている人とよみかわした歌は、
  生まれしも…(この家で)生まれた子も、(土佐で亡くなって)帰って来ないというのに、その私の家の庭に、(もとはなかった)小松が生えているのを見るのが、悲しいことだ。
とよんだことです。Hそれでもやはりもの足りないのだろうか、またこういう(歌もよんだ)、
  見し人の…亡き女児が、松のように千年の齢を保っていたら、あの遠い土佐の国で、悲しい別れをしただろうか、いや、しなかっただろうに。
 I忘れがたく、心残りなことは多いけれど、書き尽くすことはできない。J何はともあれ、(こんな書き物は)早く破ってしまおう。



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