枕草子「頭の辨の、職にまゐり給ひて」(百三十六段)  現代語訳

 頭の辨の、職にまゐり給ひて、物語などし給ひしに、夜いたうふけぬ。「あす御物忌なるにこもるベければ、丑になりなばあしかりなん」とて、まゐり給ひぬ。
  藤原行成(ゆきなり)様が、職(しき)の御曹子(みぞうし)に参上なさって、話などしていらっしゃったが、夜が更けてしまった。行成様は、「明日は宮中の物忌(ものいみ)で、籠もる予定ですので、丑の刻(うしのこく 午前1〜3時)になったらまずいでしょうから。」
とおっしゃって参内(さんだい 皇居にあがること)なさった。


 つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、「けふは残りおほかる心地なんする。夜を通して、昔物語もきこえあかさんとせしを、にはとりの声に催されてなん」と、いみじうことおほく書き給ヘる、いとめでたし。御返しに、「いと夜ふかく侍りける鳥の声は、孟嘗君のにや」ときこえたれば、たちかヘり、「『孟嘗君のにはとりは、函谷関を開きて、三千の客わづかに去れり』とあれども、これは逢坂の関なり」とあれば、
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ
 心かしこき関守侍り」ときこゆ。また、たちかヘり、
 逢坂は人越えぐすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか
とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさヘつきて、とり給ひてき。後々のは御前に。
 翌朝、蔵人(くろうど こちらを)の詰所用の用紙を折り重ねて、「今日物足りない気がします。夜を徹して、昔話などして明かそうと思っていたのに、丑(うし)ならぬ、鶏の声にせき立てられまして。」と、たいそう言葉を尽くしてお書きになってよこされた手紙は、とてもみごとな筆跡だ。私はお返事に、「ずいぶん夜更けに鳴いたという鳥の声は、孟嘗君の(食客が鳴きまねをしたという、にせの鶏の)ことでしょうか。」と書いて申し上げたところ、折り返し行成様から、「孟嘗君の鶏は、その鳴き声で函谷関を開くことができ、三千人の食客がかろうじて逃げ去った、と書物に書いているが、これはそれと違ってあなたと私の逢坂の関ですよ。」とお返事があったので、私が、
夜をこめて…(まだ夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねでだまそうとしても、函谷関の関守はともかく、あなたと私が逢うという逢坂の関は(通すことを)決して許さないでしょう。
函谷関の関守のような間抜けではなく、気の利いた関守がおりますのよ。)と申しあげる。するとまた、折り返し、行成様から
 逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか
(今の逢坂の関は、人の越えやすい関所ですから、夜明けを告げる鳥が鳴かない時も門を開けて来る人を待っているとかいうことですが…)

と書いてあった手紙なんかを、最初の手紙は僧都の君(=隆円僧都)が、たいそう額(ひたい)をつき懇願までして、持っていらっしゃいました。後の手紙は、中宮様に差しあげた。



 さて、逢坂の歌はヘされて、返しもえせずなりにき。いとわろし。さて、「その文は、殿上人みな見てしは」とのたまヘば、「まことにおぼしけりと、これにこそ知られぬれ。めでたき事など、人のいひ伝ヘぬは、かひなきわざぞかし。また、見ぐるしきこと散るがわびしければ、御文はいみじう隠して、人につゆ見せ侍らず。御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」といヘば、「かくものを思ひ知りていふが、なほ人には似ずおぼゆる。『思ひぐまなく、あしうしたり』など、例の女のやうにやいはむとこそ思ひつれ」などいひて、わらひ給ふ。「こはなどて。よろこびをこそきこえめ」などいふ。「まろが文を隠し給ひける、また、なほあはれにうれしきことなりかし。いかに心憂くつらからまし。いまよりも、さを頼みきこえん」などのたまひて、
 ところで、私は逢坂の歌には閉口して、返歌も詠めずじまいだった。まったく困ったもの。行成様が、「あなたのお手紙は殿上人(てんじょうびと=帝に接見できるような上級貴族)がみんな見てしまったよ。」とおっしゃるので、私は、「あなたが私を本当に思ってくださっていたのだなぁと、その一言でわかりました。よくできた歌は、口から口へ伝わらないのは、つまらないものですから。反対に、みっともない歌は、人目に付くことがつらいことですから、あなたからのお手紙は、厳重に隠して人には少しも見せておりませんの。あなたと私の友情のほどを比べますと、見せる見せないは違っても、同じことになりますわね。」と言うと、行成様は、「あなたがそこまで物事を分かって言うのが、なんといってもやはり他の人とは違って感心させられる。『よくも考えないで、私の手紙を他人に見せてしまって ! 』などと、並の女のように言うかもしれないと心配していたのですよ。」などと言ってお笑いになる。私は、「まさかとんでもない。お礼を申し上げたいくらいですわ。」などと言う。行成様は、「私の手紙をお隠しになったことは、これもまた、やはりしみじみとうれしいことですよ。人目についていたら、どんなに不快で嫌なことでしょう。これからも、その分別を頼りにしましょう。」などとおっしゃった。

 のちに、経房の中将おはして、「頭の辨はいみじうほめ給ふとは知りたりや。一日の文に、ありし事など語り給ふ。おもふ人の人にほめらるるは、いみじううれしき」など、まめまめしうのたまふもをかし。「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふなるに、また、おもふ人のうちに侍りけるをなむ」といヘば、「それめづらしう、いまのことのやうにもよろこび給ふかな」などのたまふ。( 百三十六段)
 その後に、経房(つねふさ)の中将様がおいでになって、「行成様が、あなたのことをたいそう誉めていらっしゃるとは知っていますか。先日の手紙にあった『夜をこめて』の歌などについてお話なさった。自分の恋人が他の人から誉められるのは、とてもうれしいものですよ。」などと、きまじめな顔でおっしゃるのもおもしろい。私が、「うれしいことが二つ重なりましてよ。あの行成様が誉めてくださるそうなうえに、あなたの恋人の中に私が加えられていましたってことが。」と言うと、経房の中将経房が、「あなたが私の恋人であると言ったことを目新しいことのようにお喜びなさるのですね。」などとおっしゃる。( 百三十六段)

枕草子「頭の辨の、職にまゐり給ひて」 解答用紙(プリントアウト用)

枕草子「頭の辨の、職にまゐり給ひて」 解答(解説)

枕草子「頭の辨の、職にまゐり給ひて」 問題




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