枕草子「木の花は」(三十七段)  口語訳

 木の花はこきもうすきも紅梅。桜は、花びらおほきに、葉の色こきが、枝ほそくて咲きたる。藤の花は、しなひながく、色こく咲きたる、いとめでたし。
  ↓ 現代語訳
 木の花は、色の濃くても薄くてもでも紅梅(がよい)。桜は、色の濃いのが、枝が細く咲いている(のがよい)。藤の花は、花房がしなやかに長く垂れ下がっていて、色濃く咲いているのが、とても素晴らしい。


 四月のつごもり、五月のついたちの頃ほひ、橘の葉のこくあをきに、花のいとしろう咲きたるが、雨うちふりたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花のなかよりこがねの玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜におとらず。ほととぎすのよすがとさヘおもヘばにや、なほさらにいふベうもあらず。
  ↓ 現代語訳
 四月の末や、五月の初めのころ、橘の葉が濃く青々としている中に、、花がたいそう白く咲いているのが、雨が少し降った翌朝などは、世に比類なく風情がある様子で趣深い。(その)花の中から(橘の実が)黄金の玉かと(思われるように)見えて、たいそう鮮やかに見えているのなどは、朝露に濡れて咲いている朝ぼら家の桜(の美しさ)に劣らない。(その上、橘は)ほととぎすとゆかりの深い木とまで思うからであろうか、あらためて言うまでもな(く素晴らし)い。


 梨の花、よにすさまじきものにして、ちかうもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひにいふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなくみゆるを、もろこしには限りなきものにて、ふみにも作る、なほさりともやうあらんと、せめて見れば、花びらのはしに、をかしき匂ひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の帝の御使にあひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」などいひたるは、おぼろげならじとおもふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。
  ↓ 現代語訳
 梨の花は、実に興ざめなものとして、身近にも賞玩せず、ちょっとした手紙を結び付けるのにも使うことさえせず、かわいげのない女性の顔などを見ては、そのたとえにひきあいにだすのも、本当に(梨の花は)、葉の色を始めとして、色合いの配合の妙に欠けて見えるが(本文が「あいなし」の場合は、おもしろみがなく見えるのだが)、(一方)中国ではこの上ないものであって、詩にもよみこんでいる、やはりそうだとしても、(中国で称されるのには)理由があるだろうと、よくよく(梨の花を)見ると、花びらの端に、えもいわれぬ(薄くれないの)色つやが、気をつけないと見落とす程度についているようだ。楊貴妃が、玄宗皇帝の派遣した使者に会って泣いた顔を形容して、「梨の花の一枝が、春、雨にしっとりと濡れている(ようだ)。」などと(白楽天が『長恨歌』の中で)言っているのは、並一通り(の美しさ)ではないのだろうと思うと、やはり(梨の花が)ずばぬけて素晴らしいことは、他に類がないだろうと思われた。


 桐の木の花、むらさきに咲きたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもとひとしういふベきにもあらず。もろこしにことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらん、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世のつねにいふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
  ↓ 現代語訳
 桐の木の花が、紫色に咲いているのは何と言っても立派であって、葉の広がり方がいやに大げさだけれども、他の木と同じように評価するべきではない。(世が泰平になると姿を現すとかいう)中国で(鳳凰という)大げさな名前のついている鳥(鳳凰)が、選んでこの木にだけ住むというようだが、ほんとうに格別な気がする。まして、弦楽器の材料に使って、さまざまな音が出てくるのなどは、おもしろいなどと、世間並みに評価することができようか、(いや、できないほど)実にすばらしい木だ。


 木のさまにくげなれど、楝の花いとをかし。かれがれにさまことに咲きて、かならず五月五日にあふもをかし。   ↓ 現代語訳
 木の見た目は良くないが、楝(おうち)の花は、とてもおもしろい。ひからびたように、風変わりに咲いて、必ず五月五日(の節句)に合わせて咲くのもしゃれている。



枕草子「木の花は」 問題

枕草子「木の花は」 解答/解説

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