「玄象といふ琵琶、鬼のために取らるること」(今昔物語集)  現代語訳

 今は昔、村上天皇の御代に玄象と云ふ琵琶にはかに失せにけり。 これは世の伝はり物にて、いみじき公の財にてあるを、かく失せぬれば、天皇極めて嘆かせ給ひて、かかるやむごとなき伝はり物の我が代にして失せぬる事と思し嘆かせ給ふもことわりなり。これは人の盗みたるにやあらむ。但し、人盗み取らばたもつべきやうなき事なれば、天皇をよからず思ひ奉る者世にありて、取りて損じ失ひたるなめりとぞ疑はれける。
 今となっては昔のこととなったが、村上天皇の御代に、玄象という琵琶が突然なくなってしまった。これは世にも珍しい伝来品であって、貴重な朝廷の宝物であったのに、このように失われてしまったので、天皇は大変お嘆きになって、「このような、貴重な伝来の品が、我が代にあって失われてしまうとは」とお思いになりお嘆きなさるのも道理のことである。これは、誰かが盗んだのであろうか。しかし、誰かが盗んだのなら、自分のものとしておくことができない品であるから、天皇をよからず思い申し上げる者がこの世にあって、盗み取ってこわしたのかもしれないとお疑いになった。


 しかる間、源博雅と云ふ人、殿上人にてあり。此の人管絃の道極めたる人にて、此の玄象の失せたる事を思ひ嘆きける程に、人皆静かなる後に、博雅、清涼殿にして聞きけるに、南の方に當りてかの玄象を弾く音あり。極めて怪しく思へば、若し僻耳かと思ひてよく聞くに、正しく玄象の音なり。博雅これを聞き誤るべき事にあらねば、返す返す驚き怪しむで、人にも告げずして、直衣姿にてただ一人靴ばかりをはきて、小舎人童一人を具して、衛門の陣を出でて、南様に行くに、なほし南に此の音あり。近きにこそありけれと思ひて行くに、朱雀門に至りぬ。なほ同じ様に南に聞ゆ。然れば、朱雀の大路を南に向ひて行く。心に思はく、これは玄象を人の盗みて、楼観にしてみそかに弾くにこそありぬれと思ひて、急ぎ行きて楼観に至り着きて聞くに、なほ南にいと近く聞ゆ。然ればなほ南に行くに、既に羅城門に至りぬ。
 そのような時、源博雅という人が、殿上人であった。この人は管弦の道を極めた人で、この玄象がなくなってしまったことをお嘆きになっていたところ、人が皆寝静まった後、この博雅が清涼殿で耳を澄ましていると、南の方から、あの玄象を弾く音が聞こえた。大変いぶかしく思われるので、もしかしたら空耳だろうかと思ってよく聞いてみると、まさしく玄象の音である。博雅は、これを聞き違えるはずもないので、返す返す驚きいぶかしんで、誰にも告げずに、直衣姿でただ一人、沓を履いて、小舎人童を一人伴って、衛門の陣を出て南に向かって行くと、なお南の方からこの音は聞こえる。この近くであろうと思って行くと、朱雀門に来てしまった(そこでも)やはり同じように南から聞こえる。そこで、朱雀大路を南に向かって行く。心の中で「これは、玄象を誰かが盗んでこっそり弾いているのであろう」と思って、急いで行って高殿にたどり着いて聞くと、さらに南の方すぐ近くに聞こえる。そこで、さらに南に行くと、すでに羅城門に着いた。


 門の下に立ちて聞くに、門の上の層に玄象を弾くなりけり。博雅これを聞くにあさましく思ひて、これは人の弾くにあらじ、定めて鬼などの弾くにこそはあらめと思ふ程に、弾き止みぬ。暫くありてまた弾く。其の時に博雅のいはく、「これ誰が弾き給ふぞ。玄象日ごろ失せて天皇求め尋ねさせ給ふ間、今夜清涼殿にして聞くに、南の方に此の音あり。よりて尋ね来たれるなり。」と。
 門の下に立って聞いていると、門の上の二階で玄象を弾いているのである。博雅はこれを聞いて驚きあきれて、「これは人が弾いているのではあるまい。きっと鬼神か何かが弾いているのであろう」と思う時に、(博雅の心を悟ったように)弾くのをやめた。しばらくしてから、また弾き出す。その時博雅が言うには、「これは誰がお弾きなさるのか。玄象がこの数日来無くなって、天皇が探し求めていらっしゃったところ、今夜、清涼殿で南の方にこの音色が聞こえたのです。そこで尋ねてきたのです」と。


 その時に弾き止みて天井より下るる物あり。怖しくて立ちのきて見れば、玄象に縄を付けて下したり。然れば博雅恐れながらこれを取りて、内に返り参りて、此の由を奏して玄象を奉りたりければ、天皇いみじく感ぜさせ給ひて、「鬼の取りたるけるなり。」となむ仰せられける。これを聞く人皆博雅をなむ讃めける。其の玄象、今に公の財として世の伝はり物にて内にあり。此の玄象は生きたる者のやうにぞある。拙く弾きて弾きおほせざれば、腹立ちて鳴らぬなり。亦塵すゑて拭はざる時にも、腹立ちて鳴らぬなり。その気色あらはにぞ見ゆなる。或時には内裏に焼亡あるにも、人取り出でずといへども玄象おのづから出でて庭にあり。その玄象は、今でも朝廷の宝物であって、代々の伝来の品として内裏にある。
 その途端弾くのをやめて、天井から下りてくる物があった。恐ろしくて飛びのいて見ると、玄象を縄につけて下ろしてきた。そこで博雅は恐る恐るこれを手に取って、内裏に帰って事の次第を奏上して、玄象を献上したところ、天皇は大いに感じ入られて、「鬼が取って行ったのだな」と仰せられた。このことを聞く人は、皆博雅のことを讃め讃えた。
この玄象は生きている物のようである。下手に弾いて弾きこなせないと、腹を立てて鳴らないのである。また、塵がついてぬぐわない時も、腹を立てて鳴らないのである。その気分がはっきりと目に見えるということだ。ある時には、内裏で火災があった時にも、誰も取り出さないのに、玄象はひとりでに出て行って庭にあった。



 これ奇異の事どもなりとなむ語り伝へたるとや。
 これは不思議なことごとだと、語り伝えられたということだよ。

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「玄象といふ琵琶、鬼のために取らるること」(今昔物語集) 解答/解説


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