十訓抄「行成、実方のために冠を打ち落とさるる事」  現代語訳

原文

 大納言行成偕、いまだ殿上人にておはしけるとき、実方の中将、いかなる憤りかありけん、殿上に参り合ひて、言ふこともなく、行成の冠を打ち落として、小庭に投げ捨ててけり。
 行成少しも騒がずして、主殿司を召して、「冠取りて参れ。」とて、冠して、守刀より櫑抜き出だして、鬢かいつくろひて、居直りて、「いかなることにて候ふやらん。たちまちにかうほどの乱罰にあづかるべきことこそ、おぼえ侍らね。そのゆゑを承りて、のちのことにや侍るべからん。」と、ことうるはしく言はれけり。実方はしらけて、逃げにけり。

 折しも、小蔀より主上御覧じて、「行成はいみじき者なり。かくおとなしき心あらんとこそ思はざりしか。」とて、そのたび蔵人頭空きけるに、多くの人を越えて、なされにけり。実方をば、中将を召して、「歌枕見て参れ。」とて、陸奥守になしてぞつかはされける。やがてかしこにて失せにけり。
 実方、蔵人頭にならでやみにけるを恨みて、執とまりて、雀になりて、殿上の小台盤にゐて、台盤を食ひけるよし、人言ひけり。
 一人は忍に耐へざるによりて前途を失ひ、一人は忍を信ずるによりて褒美にあへるたとへなり。

現代語訳

 大納言行成卿が、まだ殿上人でいらっしゃったとき、〔藤原〕実方の中将が、どのような憤りがあったのだろうか、殿上の間に参上して(行成と)出くわして、何も言うことなく、行成の冠を打ち落として、小庭に投げ捨ててしまった。
 行成は少しも騒がないで、主殿司をお呼びになって、「冠を取って参れ。」と言って(取りに行かせ)、(もとのように)冠をかぶって、守刀からこうがいを抜き出して、(乱れた)鬢の毛を整えて、居ずまいを正して(実方に向かい)、「どのようなことでございましょうか。突然にこれほどの乱暴な仕打ちを受けなければならないことは、思いも寄りません。そのわけをお聞きして、(どうするかは、その)のちのことであるべきではないでしょうか。」と、礼儀正しくおっしゃった。実方は拍子抜けして、逃げてしまった。

 ちょうどその折も折、(昼の御座の)小蔀から〔一条〕天皇が御覧になっていて、「行成はすぐれた者である。このように落ち着いた心があろうとは思いもしなかった。」とおっしゃって、そのとき蔵人頭が空席になっていたので、多くの人を飛び越えて、(行成を)任命なさった。実方のほうは、中将の官職をお取り上げなさって、「歌枕を見て参れ。」とおっしゃって、陸奥守に任命して(奥州へ)派遣なさった。(実方は)そのままその地で亡くなってしまった。
 実方は、蔵人頭にならないで終わってしまったのを恨んで、(この世に)執着が残って、雀となって、殿上の間の小台盤にとまって、台盤をつついていたということを、人が言っていた。
 一人は忍耐することができなかったために将来を失い、一人は忍耐することができたことによって褒美にあずかったたとえである。


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