平家物語「能登殿の最期」  現代語訳

  原文
 @およそ能登守教経の矢先にまはる者こそなかりけれ。  A矢だねのあるほど射尽くして、今日を最後とや思はれけん、赤地の錦の直垂に、唐綾縅の鎧着て、いかものづくりの大太刀抜き、白柄の大長刀の鞘をはづし、左右に持つてなぎ回り給ふに、面を合はする者ぞなき。 B多くの者ども討たれにけり。 C新中納言、使者を立てて、「能登殿、いたう罪な作り給ひそ。さりとて、よき敵か。」とのたまひければ、「さては、大将軍に組めごさんなれ。」と心得て、打ち物茎短に取つて、源氏の舟に乗り移り乗り移り、をめき叫んで攻め戦ふ。 D判官を見知り給はねば、物の具のよき武者をば判官かと目をかけて、馳せ回る。 E判官も先に心得て、面に立つやうにはしけれども、とかく違ひて能登殿には組まれず。 Fされども、いかがしたりけん、判官の舟に乗りあたつて、あはやと目をかけて飛んでかかるに、判官かなはじとや思はれけん、長刀わきにかいはさみ、味方の舟の二丈ばかり退いたりけるに、ゆらりと飛び乗り給ひぬ。 G能登殿は、早業や劣られたりけん、やがて続いても飛び給はず。 H今はかうと思はれければ、太刀・長刀海へ投げ入れ、甲も脱いで捨てられけり。 I鎧の草摺かなぐり捨て、胴ばかり着て、大童になり、大手を広げて立たれたり。 Jおよそあたりをはらつてぞ見えたりける。 K恐ろしなんどもおろかなり。 L能登殿大音声を上げて、「我と思はん者どもは、寄つて教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下つて、頼朝に会うて、ものひとこと言はんと思ふぞ。寄れや寄れ。」とのたまへども、寄る者一人もなかりけり。
 ↓ 現代語訳
 @だいたい能登守〔平〕教経の矢の前に立ち向かう者はいなかった。 A(能登殿は)矢数のある限りを射尽くして、今日を最後とお思いになったのであろうか、赤地の錦の鎧直垂に、唐綾縅の鎧を着て、いかめしい作りの大太刀を抜き、白木の柄の大長刀の鞘をはずし、左右の手に持ってなぎ倒して回られると、(能登殿に)面と向かって立ち向かう者はいなかった。 B多くの者たちが討たれてしまった。 C新中納言〔平〕知盛は、(能登殿のもとに)使者を送って、「能登殿、あまり(人を殺して)罪を作りなさるな。そんなになぎ回ったからといって、(それほど)よい敵であろうか、いや、そうでもあるまいに。」とおっしゃったところ、(能登殿はその言葉を)「それでは、大将軍〔源義経〕に組めというのだな。」と理解して、太刀や長刀の柄のつばもと近くを握って、源氏の舟に乗り移り乗り移りして、わめき叫んで攻め戦った。 D(能登殿は)判官〔義経〕を見知っていらっしゃらないので、(鎧、甲など)武具が立派な武者を判官かと目をつけて、(舟に乗り移り)駆け回る。 E判官もすでに(それに)気づいていて、教経の正面に立ち向かうようにはするが、(実際は)あれこれ行き違うようにして能登殿とはお組みにならない。 Fしかし、どうした拍子だったのだろうか、判官の舟に乗りあたって、「それ(出会ったぞ)。」と判官を目がけて飛びかかるので、判官はかなわないとお思いになったのであろうか、長刀をわきにはさんで、味方の舟で六メートルほど離れているのへ、ひらりと飛び乗りなさった。 G能登殿は、早業は(判官に)劣っておられたのであろうか、すぐ続いては飛び乗りなさらない。H(能登殿は)今はこれまでとお思いになったので、太刀・長刀は海へ投げ入れ、甲も脱いでお捨てになった。 I鎧の草擦を引っ張ってちぎり捨て、胴だけを着て、髪の結びが解けた乱れ髪の姿になり、大手を広げてお立ちになった。 J総じて周囲を威圧して人を寄せつけない様子に見えた。 K恐ろしいなどと言うどころではない。 L能登殿は大声を上げて、「我はと思う者どもは、近寄って教経と組み討って生け捕りにせよ。(そうして)鎌倉に下って、〔源〕頼朝に会って、一言ものを言おうと思うぞ。寄って来い、寄って来い。」とおっしゃったが、寄って来る者は一人もいなかった。

  原文
 @ここに、土佐の国の住人、安芸郷を知行しける安芸の大領実康が子に、安芸太郎実光とて、三十人が力持つたる大力の剛の者あり。 A我にちつとも劣らぬ郎等一人、弟の次郎も普通にはすぐれたるしたたか者なり。 B安芸太郎、能登殿を見たてまつて申しけるは、「いかに猛うましますとも、我ら三人とりついたらんに、たとひ丈十丈の鬼なりとも、などか従へざるべき。」とて、主従三人小舟に乗つて、能登殿の舟に押し並べ、「えい。」と言ひて乗り移り、甲の錣をかたぶけ、太刀を抜いて一面に討つてかかる。 C能登殿ちつとも騒ぎ給はず、まつ先に進んだる安芸太郎が郎等を、裾を合はせて海へどうど蹴入れ給ふ。 D続いて寄る安芸太郎を弓手のわきに取つてはさみ、弟の次郎をば馬手のわきにかいはさみ、ひと締め締めて、「いざ、うれ、さらばおのれら、死途の山の供せよ。」とて、生年二十六にて海へつつとぞ入り給ふ。
 ↓ 現代語訳
 @さて、土佐の国の住人で、安芸郷を領有していた安芸の大領実康という者の子に、安芸太郎実光といって、三十人力の力を持っている大力の剛勇の者がいた。 A自分に少しも劣らない家来一人、(それに)弟の次郎も人並みはずれた剛の者である。 B安芸太郎が、能登殿を見申し上げて申したことには、「どんなに勇猛でいらっしゃっても、我ら三人が組みついたなら、たとえ背丈が三十メートルの鬼であっても、どうして組み伏せられないことがあろうか、いや、ありはしない。」と言って、主従三人小舟に乗って、能登殿の舟に押し並べ、「えい。」と言って乗り移り、甲の錣を傾け、太刀を抜いて並んでいっせいに(能登殿に)討ってかかる。 C能登殿は少しもお騒ぎにならず、まっ先に進んで来た安芸太郎の家来を、(草摺の)裾と裾とが合うほど(近くに)引き寄せて海へどっと蹴込み入れなさる。 D続いて寄って来る安芸太郎を左手のわきに取ってさしはさみ、弟の次郎は右手のわきにさしはさんで、一回ぐっと締めて、「さあ、きさまら、それではおまえたちが、死出の山を越える供をせよ。」と言って、生年二十六歳で海へさっとお入りになっ(て最期を遂げられ)た。

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平家物語「能登殿の最期」 問題

平家物語「能登殿の最期」 解答/解説




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