源氏物語「御簾の透影 2/3」(若菜上)   現代語訳

 御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましき心地す。猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾の側いとあらはに引き開けられたるを、とみにひき直す人もなし。この柱のもとにありつる人びとも、心あわたたしげにて、もの懼ぢしたるけはひどもなり。
 几帳がだらしなく横へおしどけてあって、人がいる感じがしていかにも男に興味がありそうな感じに見えるのに、唐猫のごく小さいかわいいのが、少し大きい猫を追って、突然御簾の端から走り出たので、女房たちはおびえ騒いで、サヤサヤと音を立てて身じろぐ気配や衣擦(きぬず)れの音が、耳かしがましいほどした。猫は、まだ人になついていないのだろう、紐を長くつけていて、何かに引っかかってまとわりついていて、逃げようとして引っ張るのを、御簾の端があらわに引き開けられて、それをすぐ引き直す人もなかった。この柱の側にいた女房たちも、あわただしく物おじしたようであった。

 几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東の側なれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪のすそまでけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七、八寸ばかりぞ余りたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず、奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。鞠に身を投ぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人びと、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。
 几帳の際少し入ったところに、袿姿で立っている人がいた。階(きざはし)から西の二の間の東の側なので、隠れるところなく露わに見えるのだった。紅梅襲(こうばいかさね)だろう、濃いのと薄いのと次々に重なり合った色の移り変わりも、華やかで、草子の小口のように見えて、桜襲(さくらがさね)の細長のようだ。髪のすそまで美しく見えていて、糸を垂らしたようになびいて、髪の末がきれいにそろっているのは、かわいらしく、小柄なので七、八寸ばかり余っている。衣の裾が余っていて、体つきは細く、姿かたちや髪のかかり具合、その横顔は、言葉に言えぬほど上品で可愛らしい。夕方の光なので、はっきり見えず、奥が暗いので物足りなく残念だ。鞠に夢中になっている若君たちの、花が散るのを惜しんでもいられない様子を見ると、女房たちは、露わになった光景を誰も気が付いていない。猫がひどく鳴いているので、振り向いた三の宮の面もち、所作(しょさ)など、おおらかで、若くかわいらしい人だ、と垣間見えた。

 大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。まして、さばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、誰ればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。さらぬ顔にもてなしたれど、「まさに目とどめじや」と、大将はいとほしく思さる。わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、好き好きしきや。
 夕霧は、はらはらしたけれど、近寄るのも軽率だし、ただ女房たちに気づかせようと、咳払いすると、ようやく三の宮は引っ込んだ。実のところ、自分の心にも、残念な気持ちがあったが、猫の紐が放されていたので、思わずため息をついた。まして、あれほど魅了された柏木は、胸いっぱいになって、誰あろう、この中ではっきり目立った袿姿が女房と見間違うはずがない雰囲気など、忘れがたく思われた。柏木は観なかったような顔をしているけれども、たしかに目をつけなかったことはあるまいと、女三の宮もお気の毒な、と夕霧はお思いになる。柏木はたまらない気持ちを慰めようと、猫を呼び寄せ抱き上げると、たいそういいにおいがしてかわいい様子で鳴くのを、恋しい方になぞらえて思うのは、何と色めかしくうわついた態度だこと。



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