始皇帝の死(『史記』始皇本紀第六)  原文/書下し文/口語訳


@ 方士徐市等入海求神藥,數?不得,費多,恐譴,乃詐曰:「蓬來藥可得,然常為大鮫魚所苦,故不得至,願請善射與?,見則以連弩射之。」始皇夢與海神戰,如人状。問占夢,博士曰:「水神不可見,以大魚蛟龍為候。今上祷祠備謹,而有此惡神,當除去,而善神可致。」乃令入海者齎捕巨魚具,而自以連弩候大魚出射之。自瑯邪北至榮成山,弗見。至之罘,見巨魚,射殺一魚。遂并海西。

 方士徐市等海に入りて神藥を求め,數歳なるも得ず,費え多く,譴(けん)を恐れ,乃ち詐はりて曰はく、「蓬?の藥得べし,然れども常に大鮫魚の苦しむる所と為る。故に至るを得ず,願はくは善射を請ひて與(とも)に具(とも)にし,見(あらは)るれば則ち連弩を以て之を射ん。」と。始皇夢に海神と戰ふに,人の状の如(ごとし)し。占夢に問ふに、博士曰はく「水神(すいじん)見るべからず,大魚蛟龍を以て候と為す。今上(しやう)祷祠(とうし)して謹を備ふるに,此の惡神有り,當に除去すべくして,善神致すべし。」と。乃ち海に入る者に令して巨魚を捕ふる具を齎(もた)しめ,自(みづか)ら連弩を以て大魚の出るを候(うたが)ひて之を射んとす。瑯邪より北して榮成山(えいせいざん)に至るも,見えず。之罘(しい)に至るに,巨魚を見る。一魚を射殺し、遂に海に并(そ)ひて西す。

 方士徐市たちは海上に船を漕ぎ出し、(不老不死の)神薬を捜し求め、数年たったが、入手できない。(それにかかる)費用が莫大で、咎めを受けるのを恐れ、嘘をついて申し上げるには、「蓬?の藥は手に入れられます。しかし、常に(途中で)大きな鮫のために苦しめられております。ですのでどうしても(蓬來の島に)行き着くことができません。恐れながら、弓の名手をお願いして一緒について行っていただき、かの大鮫が出てきたならたちどころに連発弓でこれを射止めていただきたいのです。」と。始皇帝は海神と戦う夢を見たが、(海神は)まるで人のような姿をしていた。(このことを)夢占いの博士に聞くと、「水神というのは人間の目では見ることはできません。大魚や蛟龍の出現が水神の現れる兆候でございます。ただいま陛下は神を祈り祭り、手落ちなく謹みをあらわしておられるのに、このような悪神が出現しました。この悪神は当然除き去らねばならないものでして、(そうすれば)善神が招き寄せられましょう。」と言った。そこで航海する者に命じて、大魚を捕獲する道具を持って行かせ、自分は連発弓を持ち、これを射止めようとした。瑯邪から北上し、榮成山まで来ても大魚の姿は見られなかった。之罘(しい)にやってきたときに、かの大魚が現れた。(その中の)一匹を射殺し、さらに海岸沿いに西に進んだ。



A 至平原津而病。始皇惡言死,群臣莫敢言死事。上病益々甚,乃為璽書賜公子扶蘇曰、「與喪會咸陽而葬。」書已封,在中車府令趙高行符璽事所,未授使者。七月丙寅,始皇崩於。丞相斯為上崩在外,恐諸公子及天下有變,乃祕之,不發喪。棺載温涼車中,故幸宦者參乘,所至上食。百官奏事如故,宦者輒從?涼車中可其奏事。獨子胡亥、趙高及所幸宦者五六人知上死。

 平原津(へいげんしん)に至りて病む。始皇死を言ふを惡(にく)む。群臣敢へて死事を言ふ莫し。上(しやう)病(やまひ)益々(ますます)甚(はなはだ)し。乃ち璽書を為りて公子扶蘇に賜ひて曰はく、「喪(ひつぎ)咸陽に會して葬せよ。」と。書(しょ)已(すで)に封(ふう)じ,中車府の令趙高の符璽(ふじ)の事を行ふ所に在り、未だ使者に授けず。七月丙寅(へいいん)、始皇於沙丘の平臺に崩ず。丞相斯上の崩外に在るが為に,諸公子及び天下の變有るを恐れ,乃ち之を祕し,喪を發せず。棺(くわん)を?涼車(をんりやうしや)の中に載せ,故(もと)より幸せらるる宦者(くわんじや)參乘し,至る所食を上(たてまつ)る。百官の奏事故(もと)の如く,宦者輒(すなは)ち温涼車(をんりやうしや)の中(うち)より其の奏事を可(き)く。獨(ひとり)り子の胡亥(こがい)・趙高及び幸せらるる宦者五六人のみ上の死を知る。


 平原津(へいげんしん)に到着した時、(始皇帝は)発病してしまった。始皇帝は死ということを口にするのをいやがった。(だから)側近たちは死ということを口にする者はいなかった。始皇帝の病状は目に見えて重くなっていった。(始皇帝は)勅書をつくり、公子の扶蘇に書きのこした。それによると、(わが喪と咸陽で落ち合い、そこで初めて葬儀を行え。)と。勅書は封印され、中書府の長官、趙高の事務の手元に残されていた。まだ(扶蘇への)使者には手渡されてはいなかった。七月丙寅(ひのえとら)の日、始皇帝は沙丘の平臺というところで亡くなった。丞相李斯は、始皇帝が崩御したために、諸国の公子や天下に騒乱が起こることを懸念したので、この事実を押し隠し、崩御の事実を公表しなかった。棺を?涼車の中に安置し、始皇帝から日ごろ寵愛された宦官を同乗させて側につけてやり、行く先々で食事を奉った。文官百官の奏する一切の事務も生前の通りにさせ、宦官もそのつど温涼車の中から役人たちの奏事を聞き、決済させたのである。ただ、子供の胡亥や趙高、さらに寵愛された宦官五、六人だけが始皇帝の死を知っていたにすぎなかった。



B 趙高故嘗教胡亥書及獄律令法事,胡亥私幸之。高乃與公子胡亥、丞相斯陰謀破去始皇所封書賜公子扶蘇者,而更詐為丞相斯受始皇遺詔沙丘,立子胡亥為太子。更為書賜公子扶蘇、蒙恬,數以罪,(其)賜死。語具在李斯傳中。行,遂從井径抵九原。會暑,上温車臭,乃詔從官令車載一石鮑魚,以亂其臭。行從直道至咸陽,發喪。太子胡亥襲位,為二世皇帝。

趙高故(もと)嘗(かつ)て胡亥に書及び獄律(ごくりつ)令法の事を教ふ。胡亥私(ひそか)に之を幸(かう)す。高乃(すなは)ち公子胡亥・丞相斯(じようしやうし)と陰謀し、始皇の封ぜし所の書の公子扶蘇に賜ふ者を破去し,更に詐(いつは)りて丞相斯始皇の遺詔(ゐせう)を沙丘に受くと為し,胡亥を立て太子と為す。更に書を為(つく)りて公子扶蘇・蒙恬(もうてん)に賜ひ、數(せ)むるに罪を以てし,(其)死を賜ふ。行きて遂に井径(せいけい)より九原に抵(いた)る。暑に會ひ,上(しやう)の?車(おんしや)臭し。乃ち從官に詔(みことのり)して、車に一石(いつこく)の鮑魚(はうぎよ)載せ,以て其の臭ひを亂(みだ)せしむ。行きて直道より咸陽に至り,喪(も)を發す。太子胡亥位を襲(おそ)ひ,二世皇帝と為る。

 (中書府の長官)趙高は以前、胡亥に学問や刑罰・法令について教えたことがある。胡亥は心ひそかに趙高を寵愛していた。趙高は、そこで公子の胡亥、丞相の李斯と共謀して、始皇帝が封印した遺書を沙丘で賜(たまわ)ったと偽って、胡亥を立てて皇太子とした。さらに勅書を偽造して、公子扶蘇や・蒙恬(もうてん)に下し、罪状を一つ一つあげ、死を申し渡した。(そして)旅を続け、とうとう井径(せいけい)から九原に到着した。おりしも暑い気候にあい、始皇帝の棺の置かれている?涼車に死臭がし始めた。そこで、おつきの者に詔を下し、一石の鮑魚(臭い魚のひもの)を積み、その死臭をごまかした。(さらに)旅を続け、直道から咸陽に到着し、(はじめて)始皇帝の崩御を公表した。皇太子の胡亥は位をつぎ、二世皇帝となった。



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