建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」 現代語訳

 おほかたの世騒がしく、心細きやうに聞こえしころなどは、蔵人頭にて、ことに心のひまなげなりしうへ、あたりなりし人も、「あいなきことなり。」など言ふこともありて、さらにまた、ありしよりけに忍びなどして、おのづからとかくためらひてぞ、もの言ひなどせし折々も、ただおほかたの言ぐさも、「かかる世の騒ぎになりぬれば、はかなき数にならんことは、疑ひなきことなり。さらば、さすがにつゆばかりのあはれはかけてんや。たとひ何とも思はずとも、かやうに聞こえ慣れても、年月といふばかりになりぬる情けに、道の光も必ず思ひやれ。また、もし命たとひ今しばしなどありとも、すべて今は、心を、昔の身とは思はじと、思ひしたためてなんある。そのゆゑは、ものをあはれとも、何の名残、その人のことなど思ひ立ちなば、思ふ限りも及ぶまじ。心弱さもいかなるべしとも、身ながらおぼえねば、何事も思ひ捨てて、人のもとへ、『さても。』など言ひて文やることなども、いづくの浦よりもせじと思ひとりたるを、なほざりにて聞こえぬなど、なおぼしそ。よろづ、ただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほともすれば、もとの心になりぬべきなん、いとくちをしき。」と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか言はれん。涙のほかは、言の葉もなかりしを、つひに、秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地、何にかはたとへん。

 世間全般が騒然として、(行く末が)心細いようにうわさされたころなどは、(資盛様は要職の)蔵人頭であって、特に心の余裕がなさそうだったうえに、(私の)周囲にいた人も、「(資盛様とおつきあいするのは)よくないことだ。」などと言うこともあって、さらにまた、以前よりも以上に人目を避けなどして、自然とあれこれと遠慮して、(資盛様と)話をしたりなどした時々にも、ただふだんの口癖にも、「このような世の中の騒乱になってしまったのだから、(私がそのうちに)亡き人の数に入るということは、疑いないことです。そうなったら、(私のような者にも)やはりほんの少しの不憫に思う気持ちは感じてくれるでしょうか。たとえ(私のことなど)何とも思わないとしても、こんなふうに(あなたに)親しくお話を申し上げなじんでからも、(長い)年月というほどになった愛情から、(私の)後世の供養も必ず考えてください。また、もしたとえ(私の)命がもうしばらくありなどしても、全く今は、心を、昔の自分とは思うまいと、決めて覚悟しているのです。そのわけは、物事を不憫だとか、何かが名残惜しいとか、だれかれのことなどを思い始めてしまったら、思ってもきりがないでしょう。(私は)意志の弱さもどの程度だろうとも、我ながら確信が持てないので、(いっそのこと)万事を見限って、あなたのところへ、『さて(いかがお過ごしですか)。』などと言って手紙を送ることなども、どこの海辺からもするまいと思い決めていますから、(あなたを)おろそかに思っているから手紙も差し上げないなどと、お思いにならないでください。万事、ただ今から、(私は過去の自分とは)別人になった身と思うことにしたのですが、それでもややもすると、もとの心にきっと戻ってしまいそうなのが、何とも残念です。」と言った(資盛様の)言葉を、なるほどもっともなことと聞いたのも、(そのときの私の気持ちを)何と言葉で表現できようか。涙のほかには、言葉もなかったのだが、とうとう、秋の初めのころの、夢の中の夢(のようなとても現実とは思えない悲しい出来事)を聞いたときの気持ちは、何にもたとえようがない。





 さすが心ある限り、このあはれを言ひ思はぬ人はなけれど、かつ見る人々も、わが心の友はたれかはあらんとおぼえしかば、人にもものも言はれず。つくづくと思ひ続けて、胸にも余れば、仏に向かひ奉りて、泣き暮らすほかのことなし。されど、げに、命は限りあるのみにあらず、さま変ふることだにも心に任せで、一人走り出でなんどは、えせぬままに、さてあらるるが心憂くて、
  またためしたぐひも知らぬ憂きことを見てもさてある身ぞうとましき

 さすがに人情を知る人はだれも、この(事件の)悲哀を口にしたり思ったりしない人はいないけれども、一方、身近で顔を合わせる人々にも、私の心を本当にわかってくれる友はだれもいないと思われたから、人とも話すことができない。(一人)しみじみともの思いにふけり続けて、(その思いが)胸にも余るので、仏に向かい申し上げて、泣き暮らすよりほかのことはない。それでも、なるほど、人の命は(寿命というものがあって)思うままにならないだけでなく、出家することさえも思うようにならず、一人出奔したりなども、できないままに、そのまま生き長らえてしまうのがつらくて(こう詠んだ)、
  ほかに先例も類例も知らないこんなつらいめを見て、(それでも死にもせず出家も出奔もせずに)そのまま生きているわが身がつくづくうとましい。







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