大鏡「関白の宣旨/女院と道長」(道長伝) 現代語訳

原文
 女院は、入道殿をとりわきたてまつらせ給て、いみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせ給へりけり。みかど、皇后宮をねんごろにときめかさせたまふゆかりに、帥殿はあけくれ御前に候はせ給ひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、ことにふれて申させ給ふを、をのづから心得やせさせ給ひけん、いと本意なきことにおぼしめしける、ことわりなりな。
現代語訳
 (このような事で、この入道殿と帥殿とのお仲はたいそう悪かったのです。) 女院(詮子=せんし/あきこ、一条帝の母)は、入道殿(道長)を特別にお目にかけ申し上げなさって、大切にお思いあそばしたので、(ライバルの)帥殿(伊周)は(女院に対して)よそよそしく、応対あそばしていました。(一方)帝は、皇后の宮(定子、道隆の娘)を心をこめて寵愛あそばす縁で、(皇后の宮の同母兄にあたられる)帥殿(伊)は日夜、帝の御前に伺候あそぱして、入道殿(道)のことはもちろんのこと、女院(詮)の事までもあしざまに、何かにつけて申し上げあそばしましたが、(それを女院は)自然お気づきあそばしたからでしょうか、たいへん残念なことだとお思いあそばしたそうですが、(それも)もっともな事ですねえ。


原文
 入道殿(道)の世をしらせ給はんことを、帝いみじうしぶらせ給ひけり。皇后宮、父大臣おはしまさで、世の中をひきかはらせ給はんことを、いと心苦しうおぼしめして、粟田殿(道兼)にもとみにやは宣旨くださせ給ひし。されど、女院の、道理のままの御ことをおぼしめし、又、帥殿(伊)をばよからず思ひきこえさせ給うければ、入道(道)殿の御ことをいみじうしぶらせ給ひけれど、「いかでかくはおぼしめしおほせらるるぞ。大臣越えられたることだに、いと、いとほしくはベりしに、父大臣のあながちにしはベりしことなれば、いなびさせ給はずなりにしにこそ侍れ。粟田の大臣にはせさせ給ひて、これにしもはベらざらんは、いとほしさよりも、御ためなんいと便なく世の人もいひなしはベらん」など、いみじう奏せさせ給ひければ、むづかしうやおぼしめしけむ、のちにはわたらせたまはざりけり。
現代語訳
 (そうした帥殿の蔭口なども影響して)入道殿(道)が(関白として)天下をお治めあそばす事を、帝はたいそうお渋りあそばしたそうです。が、父大臣(道隆)が(薨去され)いらっしやらず、世間の人望も一変して(皇后の宮に)辛くなるだろうことを、(帝は)たいへん気の毒にお思いあそばして、(次兄の)粟田殿(道兼)に対してさえ、すぐには宣旨(せんじ=天皇の意向を下達すること)をお下しあそばさなかったのですよ。(だから、まして末弟の入道殿(道)に対して、すぐに宣旨をお下しあそばすはずはないのです。)けれども、女院(詮)が、筋道を立てて関白任官を兄弟の順序に従ってさせるべきだとお考えあそばし、また(女院は心情的にも)帥殿(伊)の事を、悪くお思い申しあそばしていたので、(御自分とは反対に帝は、)入道殿(道)のご推挙ということをたいそうお渋りあそばしてい(ることは充分承知あそばしておられ)たけれども、「どうしてこのように(入道殿に関白宣旨をお下しになる事を避けようと)お思いあそばし、また仰せられるのですか。(入道殿が帥殿に)大臣を越えられた事でさえも、たいへん、お気の毒でございましたのに、(その時は)父大臣(道隆)が(わが子の帥殿を)強引にした事でございますから、帝(「入道殿」ともとれる)もお拒(こば)みあそばさずじまいになったのでございますよ。(だのに、このたび)粟田の大臣(道兼)には関白宣下をあそばして置きながら入道殿(道)に限ってその事がございませんようなら、入道殿(道)ご自身のおんため、実に不都合なことに世人も非難申し上げるでしょう。(その事の方がすっと私には気づかわれてなりません。)」 などと、語気強く奏上あそばしましたので、(帝は)やっかいな事とお思いあそばしたからでしょうか、その後には(女院の方へ)おいであそばさなかったそうです。


原文
 されば、上の御局にのぼらせ給ひて、「こなたへ」とは申させ給はで、われ、夜の御殿(おとゞ)にいらせたまひて、泣く泣く申させ給ふ。その日は、入道殿は上の御局に候はせ給ふ。いと久しくいでさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて、とを押しあけて、いでさせ給ひける御顔はあかみぬれつやめかせ給ひながら、御口は快くゑませ給ひて、「あはや、宣旨くだりぬ」とこそ申させ給ひけれ。いささかのことだにこの世ならず侍ることば、いはむや、かばかりの御ありさまは、人のともかくもおぼし置かんに依らせ給ふベきにもあらねども、いかでかは院ををろかに思ひ申させ給はまし。そのなかにも、道理すぎてこそは、報じたてまつりつかうまつらせ給ひしか。御骨をさヘこそはかけさせ給へりしか。(第五 道長)
現代語訳
 そこで(そのように帝の方からおいであそばさなくなってしまったものだから、女院(詮)は上の御局にお上りあそばして、「こちらへ(お越しください)。」とは申し上げあそばさず、ご自分から、帝の御寝所の間にお入りあそばして、泣き泣き(入道殿を関白にと)申し上げあそばしました。その日は、入道殿(道)は上の御局でお待ちあそばしていました。(女院のお出ましを今か今かと待っておられましたが)たいへん長い間お出ましになりませんでしたので、(これは恐らく不首尾なのだろうと)心配しておいでになりましたところ、しばらくして、(女院様が)戸を押しあけてお出ましになりました(が、その時の)お顔は、涙に濡れて赤らみつやつや光っていらっしりながらも、おロは嬉しげに微笑を湛えていらっしやって、「ああ、やっと、宣旨が下りました」と(入道殿に)申し上げあそばしたそうですよ。ほんの些細な事でさえもこの現世ではない(前世からの宿縁によって決まるのだ)そうでございますから、ましてや、(関白宣下という)これほど(重大)な事態は、一個人があれこれと心決めなさる(といった)ような事に、左右されなさるはずの事ではありません (入道殿が関白宣旨をお受けになりましたのも根本的には前世からの宿縁によるのでして、女院一個人のご努力の結果とだけは言えないのです)。けれども、(それはそれとして、その努力を尽くして下さった女院の事を)あだやおろそかにお思い申し上げあそばしましょうか。(そのようになさるはずもありません。)(何かにつけて女院にご恩報じをし、お仕えあそばしましたが)そうした様々のご恩報じやご報仕の中でも特に、ひときわ程度を超えて、ご恩を報じ、お仕えあそばされましたよ。(というのもそれは外でもありません。女院(詮)ご葬儀の折は)お骨までも、首におかけあそばしていたのですよ。


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