丸山真男『「である」ことと「する」こと』2/2  解答/解説

問1
  a たる  b 崩壊  c 浸潤  d 厄介  e 規模

  f 閑暇  g   h 瞑想  i 蓄積  j 趣旨

問2 【例解】硬直化・固定化されてきたこと。

問3 【例解】学問の評価はその内容で決められるはずなのに量のみで決められ、それが内容を伴っているかどうかは問題にされないから。
  (「量」か「質(内容)」かの二項対立。大学の先生の身分が終身制であることが学問の質を維持させる…?「アメリカ」のお話をうまく利用している気もします…?)

問4 【例解】芸術は創造する行為に、教養は自己を磨き高めることに意味がある。つまり芸術や教養はその機能や効果よりそれ自体に価値があるということ。
  (この論では、「果実」が「する」価値であるのに対して、「花」が「である」価値であるとされている。)

問5 【例解】長い間人々に支持され愛好されてきたもので、それがもたらす結果よりもそれ自体に価値があるから。
  (「政治にはそれ自体としての価値などというものはない」との二項対立で組み立てられています。)

問6 【例解】深く内に蓄えられた文化の立場から民主主義を不断に検証し作り上げていくこと。
  (「不断に検証」は、「7」の2段落からの引用。「ラディカル(根底的)な精神的貴族主義」の持ち主とは筆者(講演者)の丸山さん自身のような学者や文化人を指し、そのような人たちが政治を正していくべきだと言っているようで、鼻持ちならない感じがしませんか。)



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丸山真男『「である」ことと「する」こと』2/2  NEXT STAGE

2/2 を要約

 日本の近代化の宿命的な混乱は、「する」価値が必要な領域に「である」価値が根を張っている一方、「する」価値がそれほど必要ではない領域に「する」価値の考え方が侵入していることである。現代のような政治化の時代には、深く内に価値を蓄えた文化の立場から政治へ働きかけることによって、この倒錯を再転倒しなければならない。

「自由」と「権利」は日々に行使しなければならない?
 『「である」ことと「する」こと』1/2で次のように感想を書きました。

 『この文章、長い間高校国語教科書に採られてきましたが、すごく違和感を感じます。「権威」に惑わされずに冷静に読み解いてほしいと思います。

 日本国憲法の第十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」について、「努力によって、これを保持」するを、巧みに、「現実に日々」「行使」することだとすり替えているように思います。この第十二条の後半には「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあるのを、意図的に無視しているように見えます。自由や権利の主張と行使が、責任や義務を果たすことと表裏一体の関係であるという「市民」常識を見ないふりをしているのではないでしょうか…?そして日常生活では政治方面に関心が薄い人たちを「アームチェア」に安楽に寄りかかっているのと同じだと批判しています。でも、本当に政治を動かしていくのはそういう人たちの声なき声ということもできるのです。また、自由や民主主義は現実に日々行使することを怠ると、「ヒットラーの権力掌握」と「同じ道程」をを辿ることになると「警告」がなされていますが、「ヒットラーの権力掌握」はドイツ国民が自由や権利の行使を怠ったからというのも事実とは違っています。

 アメリカを例に挙げて、日本の後進性を主張するのも進歩派言論人のやり方。アメリカ映画の題名は何で、どういう文脈でのどういう場面のなのか…?アメリカでも日本でも、上司や親や年配者を、その作法は異なるがレスペクトして立てるのは変わらない。それを封建的=後進性と決めつけられるのでしょうか。筆者の東大の教え子たちは、学外では筆者に「丸山君」と呼びかけ「普通の市民」に対するように話したり振舞っていたのでしょうか…?

 「徳川時代」は筆者の専門の領域だが、今ではステレオタイプのとらえ方に思えます。士・農・工・商という身分制度の建前の裏側にあった、単純にニ分法ではとらえられない実態が明らかにされています。この文章が書かれ時代とは違って、現在ではそういうことを本などで手軽に読むことができるし、ネットでも知ることができるようになりました。
 全体的に事実のすり替え、巧みな論理の誤魔化しがあるように思います。』

違和感U
 「研究者の昇進」が「内容」ではなく「アルバイト」つまり研究論文の発表の数で決められる傾向を嘆き、「日本の大学における終身制」=「身分」が研究の質を保つことに貢献しているーつまり、「である」ことの必要性の主張だが、こじつけでは…?研究の質は数値化できるものではないことは本当でしょうが…二項対立で論じられることではないと思います。もともと「昇進」と「内容」は本来何の関係もないことでしょう。

 結末の「現代日本の知的世界に切実に不足し、最も要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないか」とは、学者や文化人が政治に対して発言し、行動すべきだという主張のようです。しかし、学者や文化人はそれぞれの専門分野を深めるのがお仕事でしょう。また、その人たちと「普通」の人たちの政治的発言も行動も等価値だと思います。

 『私たち日本人が「である」行動様式と「する」行動様式とのごった返しの中で多少ともノイローゼ症状を呈していることは、すでに明治末年に漱石が鋭く見抜いていた』もこじつけなのでは…「現代日本の開化」で「ノイローゼー」は日本人が外発的に開化を迫られ、西洋で100年かかって成し遂げたものを短期間でやり遂げなければならない困難さの比喩で用いられているもので、「する」と「である」の倒錯や矛盾によるということではありません。

 前半、「自由」「権利」「民主主義」について「日々の」「現実の行使」が重要と主張されているが、日々仕事・子育て・家事に追われている人々や学校に行って勉強している普通の人々は、結局何をすればよいことになるのでしょうか…権力監視や政権批判を売り物にしている新聞・テレビ・本などに関心を持つ…?政治集会・デモに参加する…?選挙は棄権しないで自由や権利や再分配をメインの政策にする政党に投票する…?

 読みすすめると「?」が次々に湧き出てきます。東大教授であり、多くの若者を政治運動に駆り立て、現代のマスメディア言論のパラダイムの基といわれる学者の評論ですが、「権威」に惑わされず、深く冷静に読むことも必要だと思います。


丸山真男『「である」ことと「する」こと」』2/2 問題/ヒントはこちらへ

丸山真男『「である」ことと「する」こと」』1/2 問題/ヒントはこちら


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